今日は家の近くにある史跡の紹介します。
島田宿一里塚
慶長9年(1604年)徳川家康は
東海道の一里(36町)ごとに塚を築かせました。
塚は五間四方(直径約9m)上に榎を目印として植え、通常は街道の両側に対で築かれました。
島田宿一里塚は天和年間(1681~1684年)に描かれた最古の東海道絵図の中で江戸から50里と記され、北側の塚しか描かれていません。
幕末の文献「
島田宿並井両裏通家別取調帳」では幅五間二尺で北側のみ、塚の上には榎が植えられていたことが記されています。
里塚跡 島田市本通七丁目 江戸から数えて
五十番目の一里塚が島田宿七丁目にありました。
元禄三年(1690)に描かれた「東海道分間之図」によれば、宿の東から二丁程入った七丁目通りの両側(北と南)にその位置が示されている。
しかし、百年後の寛政年間に作られた「東海道分間延絵図」に一ヶ所のみが記され、榎が植えられていた。
現在その場所に石柱(碑)が建てられている。
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東海道一里塚 52里
島田 (静岡県島田市本通七丁目)